大判例

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仙台高等裁判所 昭和31年(ラ)87号 決定 1957年2月01日

抗告人 大川太郎(仮名)

相手方 大川孝吉(仮名)

大川クラ(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は別紙に記載したとおりである。

そこで原審判に重大なる事実の誤認があつたかどうかを検討する。

抗告理由(一)について、

原審判が認定した事実は抗告人は酒を好み、家業である農業もみずから耕作することなく、もつぱら妻子によつて耕作しているため、相手方らはかかる点も不満に思つていたが、今年(昭和三一年)二月ころまでは相手方らと抗告人とは同居してきたところ、そのころから相手方らと抗告人間に感情の対立を生じ、相手方らは従前の住家の裏小屋に移住するに至つたというのであつて、相手方らが抗告人において家業に従事しなかつたことについてのみ不満に思つていたことを認定したものではなく、抗告人が酒を好むこと(たしなむこと)をも含め、相手方らが不満に思つていたことを認定したものであること判文上明らかである。そして右相手方らの抗告人に対する不満というのは、個々の事実のみをさしていうのではなく、事例的に抗告人の全人格をいうものであることと原審での相手方らの各審問の結果及び本件記録上うかがわれるところであるから、たとえ抗告人が主張するように抗告人が○○○○○○○○○○○○○○○の監事その他の役職上、家業にたずさわることができない事情にあつたとしても、かかる事情があることのために原審判の右の認定を妨げるものではない。

また原審での小山和男、大川勝一及び相手方クラの審問の結果中、それぞれ抗告人挙示のごとき陳述があること調書上明らかで、もとより相手方クラに全く非難に値する性格ないし行動がないと断定し得ないが、さればといつて相手方クラが事を構え、あるいは面白く暮すために別居したとは到底認定し得ない。相手方クラの抗告人と別居したのは面白く暮したかつたからですとの陳述のごときは抗告人との不愉快な同居生活から脱れる意味で面白く暮したかつたからとの表現を用いたこと右陳述の前後を吟味することによりおのずから明らかであつて、また明治二〇年生れの老齡の相手方クラが明治一四年生れの老齡かつ一〇余年も中風のため病床にあつた相手方孝吉とともに、従来共同生活してきた生活力のある抗告人と別居し、小屋に生活することに面白い生活と考えられるところがないのであつて、表現された言葉のとおり面白く暮すために別居したとは到底認め得ないところである。

抗告理由(二)について、

原審判が認定した事実は、相手方らは近村に居住する二男英一、長女ハナらの援助または自己所有の財産の売得金によつてかろうじて生活してきたことを認定し、その生活のすべてを二男英一から仰いでいたものと認定したものでないことはもとより、生活の援助は物質的援助に限られるものではないから、抗告人が主張するように右英一が居村○○村から生活保護法による生活扶助を受けている事実のごときは、原審判の右認定を妨げるものではない。

相手方クラの右の点についての陳述(第二回)は、抗告人のところから米をもらつたことがないとの陳述に次ぎ、抗告人のところから味噌を小皿に少しもらつたときも、抗告人から文句をいわれたので、その後は味噌も米も二男英一や他人から借りたり買つて食べていた旨の供述であつて、英一が生活扶助を受けていることから直ちに老人夫婦の食う味噌を一時貸与する程度の余力がないとみることはできないのであつて、相手方クラの右供述は虚偽であるということはできない。

その余の所論は採用できない。

抗告理由(三)について、

原審判が抗告人が相手方クラを押して負傷させたことを認定したこと及び原審での抗告人の審問に際し、抗告人が相手方クラを押した理由について尋問があつた形跡のないこと所論のとおりである。しかし抗告人が相手方クラを押して原因理由について、クラが抗告人に打ちかかつたためであるとする証拠は全然ない。

抗告理由(四)について、

抗告人が相手方らに対し、暴言したことについて、原審での抗告人審問の結果によれば、抗告人は相手方らの住んでいる小屋の戸口に行つて「お前達みたいな者は死んでしまえといつたことがある。それは私の子供がりんごが食べたいといつても、クラが叱つてりんごをもぎとらせないのに、他人にはりんごをくれてやりますので腹がたつてこのようなことをいつたのです。」との陳述はあるが、右以前において、抗告人がその子らにりんごを食べさせるために畑にりんごを取りに行つた際、クラから「お前をぶつ殺してしまう」といわれたことがあり、そのために抗告人が酒をのんだ勢で「おれをぶつ殺してしまうというがお前が死んだらよかろう。」と口答えをしたに過ぎないとする抗告人の主張事実は何らの証拠もない。

以上のほか、原審判が認定した事実はその挙示の証拠により優にこれを認めることができ、所論のような事実の誤認はないし、職権をもつて記録を精査しても原審判に違法はない。

なお骨肉間で相争うことは、不幸なできごとである。原審は、当事者の合意による円満な解決を期待し、家事調停を試みたのであるが、ついに調停が成立しなかつたので、審判に移行するものに至つたことは記録上明らかであり原審は法規に従い、かつ相手方の申立を理由あるものと認めて、本件審判をしたものであるから、これをもつて所論のごとく百害あつて一利ないものということはできない。よつて本件抗告を理由ないものとして棄却する。

(裁判長判事 斎藤規矩三 判事 沼尻芳孝 判事 羽染徳次)

(別紙)

抗告の趣旨

原審判を取消し、本件相続人廃除の申立を却下する旨の裁判を求める。

抗告の理由

原審は、抗告人が経済的に苦痛のない身分にありながら、老齡かつ病床にある相手方らに対し、生計費を与えず、暴力に訴え、またたえず暴言を加えるなど、両親と抗争しているのは、相続人廃除の事由である虐待または著しい非行にあたると認定して、抗告人が相手方らの推定相続人たる地位を廃除する審判をなした。

しかしながら原審判には次のごとき重大な事実の誤認がある。すなわち、

(一) 原審判は、抗告人が酒を好み家業である農業もみずから耕作しないで妻子によつて耕作しているため、相手方らはかかる点も不満に思つていたが、昭和三一年二月ごろまで、相手方らと抗告人は同居してきたところ、そのころから相手方らと抗告人との間に感情の対立を生じ、相手方らは従前の住家の裏小屋に移住するに至つたとの事実を認定したが、抗告人は抗告理由書添付の証明書(四通)により明らかなように、昭和二十八年一〇月から昭和二九年九月まで○○○○○○○○○○○○○○の監事であり、昭和三〇年五月から昭和三一年八月まで同○○○○○○係であり、昭和三一年五月から同年九月まで○○○○○○○○○○○○委員であつた者でその職責上みずから耕作することができなかつたばかりでなく、妻子が耕作して何等の不都合をも生じなかつたのであるからこの点は非難するにあたらない。

そして抗告人が酒をのんだとしても、そのため財産をなくするようなことはなく、又相手方らが抗告人と別居したのは相手方クラのわがままから出たことである。この点について、原審で公平な第三者である小山和男(駐在巡査)は、クラ(相手方)から、抗告人のため腰をたたかれ怪我をしたとの訴えで調査中、クラは本署に私が抗告人と仲がよく訴を取上げてくれないと申達した。右の訴えで抗告人を調査したところ、世間の話では抗告人は無口で他人と喧嘩することなく、評判はよい。孝吉(相手方)は寝たきりでクラのいうとおりになつているようであつて、警備の対象人物になつている大林正という人がクラにちえをつけ後押していることを聞いた旨陳述し、また大川勝一(本件当事者の本家)は、本件当事者の間に入り一緒に暮すようにいろいろ努力したが、クラからお前は抗告人の味方をしているとて話しに応じなかつた。その後親戚の者が集つて円満にまとめようとしたが、クラがその弟や私をつえでなぐつて乱暴したのでそのまま帰つた。その後クラにあつた時同人からお前は小山巡査にちえをつけているとどなられたが、私はそのようなことをした覚えはない。孝吉は人よしだが、クラは昔から頑固な人である。抗告人は酒をのむが財産をなくするようなことはなく、他人に乱暴したということも聞いていない。抗告人の妻もクラと喧嘩することなく、実直なよい人である。クラは私に対して、「私に関係するな、全財産を売つて自分で使つてしまう。」といつたことがある。と陳述し、他方相手方クラの陳述によるも抗告人と仲が悪くなつたのは、今年(昭和三一年)旧正月からで二月一四日に別居し、家の側にある小屋で夫と暮している。抗告人と別居するようになつたのは、面白く暮したいからであると陳述しているのである。

以上 供述によれば相手方らが昭和三一年二月別居するまで、抗告人が相手方らに、衣食にことをかかせたり、または相手方らを虐待したというようなことはなく、相手方らが面白く暮したいというので別居するに至つたので、ほかに何等の理由のないことが明らかで、相手方クラは、いかがわしい人物である大林正にそそのかされて、わがままに暮したいため相手方孝吉を伴つて別居したのである。

(二) 原審判は別居してからの相手方らの生活について、別居後の相手方らの生活費などは、抗告人はほとんど省みず、相手方ら所有の田畑をも耕作しその収獲物を与えない結果、相手方らは近村に居住する二男英一、長女ハナらの援助、または自己所有の財産の売得金によつて、かろうじて生活しているものであると認定したが、抗告理由書添付の○○村長の証明書及び大川カズヱの書面によれば、相手方らが生活の援助を受けていたという二男英一は、昭和二八年以来生活扶助を受けて生活してきた者で、相手方らの生活を援助する余力のないことが明らかである。原審は、抗告人が別居する際米一俵を相手方らに与え、一箇月くらいたつてから米一俵を息子に持たせてやつたところ、クラが戻してよこした。味噌はクラが私の家から持つて行つて食べているとの陳述を却け、相手方クラの供述を採用して右事実を認定したようであるが、以上述べたことにより少くとも相手方らが二男英一から生活の援助を受けてきたとの点については事実を誤認したこと明らかで、従つて右認定の資料とした相手方クラの第二回供述は虚偽であることが明白であつて、抗告人の前記陳述こそが採用されなければならない。

(三) 原審判は、別居後間もなく、相手方クラは抗告人より押されたため負傷し数箇月療養することに至つたことを認定したが、この点について原審で、相手方クラは旧一二月一七日かめを取りに抗告人方に行き嫁と話していたら、抗告人が出て来て私を板の間に投げとばした。と供述し、抗告人は、私が押したためクラが転んで怪我をしたことがあります。と供述し、両者の供述は多少異るのであつて、原審は抗告人の陳述と同じく認定し、相手方クラの陳述を信用しなかつたけれども、抗告人が相手方クラを押した理由については尋問もない。

抗告人が相手方クラを押したのは、クラがかめを取りに来た際、かめはないと申したところ、クラがこたつに入つていた抗告人に打ちかかつてきたためである。

(四) 原審は、今年(昭和三一年)七月一七日ころ、抗告人が飮酒の上相手方らの小屋に来て相手方らに対し、「人情を知らぬ者、お前達みたいな者は首をくくつて死んでしまえ」と暴言をはいた。と認定した。この点について原審で相手方らは右と同旨の陳述をなし、抗告人も、本年(昭和三一年)七月一四日酒をのんで父母の住んでいる小屋の戸口に行つて、「お前達みたいな者は死んでしまえ。」といつたことがある。それは私の子供がりんごを食べたいといつても、クラがりんごをもぎとらせないのに、他人にはりんごをくれてやりますので、腹がたつてこのようなことをいつたのです。」と供述している。

結局抗告人の右言動は、相手方クラが他人にりんごを食べさせながら抗告人の子らにりんごを食べさせなかつた仕打に原因する。しかもその前に抗告人が子らに食べさせるため、畑にりんご取りに行つた際、クラから「お前をぶつ殺してしまう」といわれ、取らないで帰つて来た事実があるのである。それで酒をのんだ勢で、「おれをぶつ殺してしまうというが、お前が死んだらよかろう。」と口答えをしただけで、暴言をはいたというも五分と五分のいい分であるばかりでなく、その原因を作つたのは相手方クラである。

以上要するに相手方らが抗告人と別居したのは、相手方クラのわがままに出たこと、その後の紛争は相手方ことにクラの誘発によるものであることが明らかである。それで抗告人に非行があつたとしても、それは相手方の誘発により一時の感情の激発によるもので、相続人の廃除原因たる著しい非行に当るものではない(大判大一五・六・二、大一一・七・二五)。そして抗告人が別居後も相手方らに米味噌を供与していること、及び今後父母として面倒をみてゆくつもりであること、原審での抗告人の供述するとおりであるから相続人を廃除する事由はない。

もし相手方らにおいて生活の不安を感ずるのであれば、抗告人において食糧その他の生活費を与えることを確約させ、これを裁判上義務づける措置をとれば十分である。

抗告人を相手方らの相続人たる地位から廃除すると、親子融和の道が永久に断絶される。かくては抗告人の長男利夫の妻は相手方クラの姪に当る関係もあつて、ひいては親族間の交情に影響し廃除は百害あつて一利なしというべきである。

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